2026年4月30日、メディアドゥは『メディアドゥ30周年史』を刊行しました。同年5月19日に帝国ホテルで開催した「設立30周年記念 感謝の会」では、ステークホルダーの皆さまへ本史をお配りし、多くの感想をお寄せいただきました。改めて御礼申し上げます。
今回は、読者アンケートに寄せられた声も紹介しながら、30周年史の現場責任者として本史の企画、取材、一部執筆、編集、校正等を担当した社長室・橋本剛さんによる編集後記をお届けします。
社長室 SC事業企画1課
橋本 剛(はしもと・ごう)
2005年、日本放送協会(NHK)に記者として入局。大阪、青森、東京で事件・事故、東日本大震災、原発事故、気候変動、東京五輪、Bリーグなどを取材。2021年からデスク、2022年から2年間はNHK徳島放送局で報道現場の責任者を務める。2025年4月にメディアドゥ入社。徳島県版トビタテ!留学JAPAN、 徳島大学公開講座「aX」の運営など、GR(行政連携)事業や広報を推進。

目次
- 1. はじめに
- 2. “社史”を書くということ
- 3. 藤田史か、メディアドゥ史か
- 4. 30周年史を貫く軸
- 5. 30周年史制作自体が、感謝を伝える過程だった
- 6. 「愛」という言葉の意味
- 7. 読者の反応
- 8. おわりに
1. はじめに
2026年4月20日、『メディアドゥ30周年史』が完全校了しました。その10日後の4月30日、制作の現場責任者を務めた私の手元に、見本として20冊が届きました。本来であれば、すぐに手に取り、細部まで確認すべきだったのかもしれません。しかし私は、しばらくの間、冷静に本を見ることができませんでした。
本史の出来そのものには、手応えがありました。読んでいただければ、一冊に込めたものはきっと伝わるだろうという思いもありました。
それでも本を見ることができなかったのは、「記録し、残す」ことへの怖さからでした。メディアドゥの過去の事実を誤って伝えていないか。藤田社長をはじめ、経営に関わってきた先達の認識とずれていないか。会社の歴史として、後に検証されたときに耐えられる記録になっているか。そのことが、最後まで気になっていました。
しかし、最初の読者であり、最も厳しい監修者でもある藤田社長をはじめ、社内から次第に評価の声が聞こえてきました。そして5月の感謝の会にご出席いただいた皆さまからも、直接、あるいはアンケートの形で温かい言葉を頂きました。そうした声を聞くにつれ、少しずつ落ち着いた気持ちで、完成した本史を読むことができるようになりました。
2. “社史”を書くということ
私は2025年4月に当社に入社するまでの20年間、NHKの記者としてテレビの世界で仕事をしてきました。
テレビは速報性が重視されるメディアであり、新聞ほど記録性が前面に出る媒体ではないかもしれません。それでも、私がいた報道の現場では、常に「正しい情報を伝えること」「記録し、後世に伝えること」が重視されていました。
記録するとは、単に資料を保存したり、引き継ぎ資料を残したりするだけの行為ではありません。そのとき、その場に立ち会った人が、どのような姿勢で事象を見て、どの側面を切り取り、伝えるのか。その視点も含めて、まだ見ぬ将来世代の目にさらされることになります。
記者時代には、環境問題、原子力災害、震災復興、東京オリンピックといった、社会的影響が大きく、長い時間軸で向き合う必要があるテーマを担当していました。その日のニュースとして伝えると同時に、10年後、30年後、さらに先の未来から見たとき、どのような姿勢でその出来事を伝えたのかが問われる。私自身、そうした感覚が、自然と染みついていたように思います。
当社に入社してからは、ビジョンを掲げ、現実をそれに近づけていくという考え方に触れるようになり、感覚の違いに驚かされることもありました。しかし藤田社長が本史で語る「BECOME A GOOD ANCESTOR」「自分がいない100年後のための、良き祖先になれるか」という後世を意識したメッセージは、私にとって、はじめから違和感なく、すっと胸に入ってくるものでした。
このメッセージを、30周年史を制作する自分に置き換えたとき、自分には何が求められるのか。藤田社長をはじめ、草創期を支えた社員の先達、現在、そして未来の社員、数多くの関係者の皆様にも、違和感なく読んでいただけるものになっているのか。そうした思いと重圧から、完成した30周年史をしばらく見ることができなかったのだと思います。
3. 藤田史か、メディアドゥ史か
30周年史を制作するにあたって、最初にぶつかった問いがあります。
これは藤田史なのか、メディアドゥ史なのか。つまり、「藤田社長の色」をどこまで出してよいのか、という問いです。
メディアドゥの歴史は、創業者である藤田社長の記憶、判断、人間関係の蓄積、そして故郷への思いを抜きにしては書けません。1996年4月1日、大学卒業の翌日に、藤田社長は前身となる有限会社フジテクノを一人で設立しました。以来30年、会社に在籍し続けているのも藤田社長ただ一人です。
事業転換の失敗と教訓、電子書籍流通事業の高い参入障壁を上りきれた理由、出版業界の皆さまとの関係構築、そこで故郷・木頭が果たした役割。時をさかのぼるほど、当時を知る社員は少なく、藤田社長にしか語れないことが数多くありました。
一方で、会社の歴史は創業者個人の歴史ではありません。社員、お取引先様、出版社様、電子書店様、行政、金融機関、メディア、地域の皆様。そうした多くの方々がいて初めて、メディアドゥの30年は成立しています。
この問いに対し、どのような構成と文体で形にするのか。そこに随分と時間がかかりました。
当初は、メディアドゥ草創期を群像劇として描く案もありました。メディアドゥが数々の事業転換を経て、現在の電子書籍流通事業の基盤を築いてきた歴史に読み手を引き込むため、ドキュメンタリー調で描くことも考えました。いわゆる神の視点で、三人称の語りによって、草創期から現在までを物語として進める書き方です。あるいは、藤田社長が語り部となり、回顧録のような形で書く案もありました。
しかし、いずれも物語の色合いが強くなりすぎる恐れがあり、会社の歴史を正確に残すという記録性からは、少し離れてしまうと感じました。
外部のライターの方にお願いしたテストライティングでも、客観性と読みやすさのバランスを何度も確認し、文体を三度ほど修正することとなりました。どこまで読ませるか。どこから抑制するか。その調整には、かなりの時間を費やしました。
最終的には、三人称による客観パートと、一人称による主観パートの二本立てにしました。客観パートでは、会社の歩みを、主観や主張をできる限り抑え、事実に即して淡々と整理する。そのうえで、藤田社長をはじめ、会社の節目に立ち会ったキーパーソンの言葉を「証言」として置く。
あえてドキュメンタリー調にしなくても、この30年の出来事やエピソードには、それ自体に十分な物語性がありました。携帯電話、インターネット、電子書籍、出版流通、地域創生。メディアドゥの歩みは、社会や産業の変化とも重なっています。事実を丁寧に積み重ねることで、読者に当時のメディアドゥを追体験していただきたいと思いました。
これは特に、メディアドゥが現在の業態になってから入社した社員を意識した構成でもあります。時代が変わり、事業が変わっても、メディアドゥが変わらず大切にしてきたものは何か。その由来を知る入口になってほしいと考えました。
4. 30周年史を貫く軸
ここで少し、30周年史制作のプロジェクトについて記録を残しておきたいと思います。
制作会社の選定が始まったのは2025年3月。制作会社の決定は同年4月。そして完全校了が2026年4月20日でした。30周年史は全164ページ。原稿総文字数は108,413文字、400字詰め原稿用紙にして271枚分、長編書籍1冊に相当します。藤田社長による対談は9名、寄稿文は4名、コラムは10名、証言は5名に上りました。
丸1年にわたる制作過程で、2025年秋ごろからは対談や寄稿、写真といった素材が徐々に集まってきました。しかし、しばらくの間は、一冊を貫く軸をつかみきれずにいました。30年の出来事を並べるだけでは、何を伝えたいのかが見えてこない。素材が集まり、文体が定まったあとも、全体の構成、つまり章立てやページ割り、台割はなかなか見えてきませんでした。
軸を見出す転機になったのが、藤田社長の故郷である木頭(徳島県那賀町木頭)の風景を前面に出したキービジュアル(KV)が決まったことでした。 木頭の風景、メディアドゥのロゴ、30周年のメッセージが重なったことで、「空間」「時間」「人」「故郷」「愛」という五つの要素が、一冊を貫く視点として立ち上がってきました。そして、この五つの要素を章立てとして採用することにしました。
KV、そして章立てが決まり、2026年初頭からは一気に制作が進みました。どの写真を選ぶのか。どの言葉を本文に残すのか。表紙、スリーブ、章扉、紙面の紙質や色をどう設計するのか。原稿、デザイン、校正、印刷仕様の確認を並行して進める、急ピッチの作業になりました。
この過程で強く感じたのは、30周年史は文章だけで成立するものではないということです。企画、取材、執筆、編集、校正に加え、キービジュアルや装丁を通じて、手に取った瞬間から何を感じていただくのかまで考える。「本づくり」に関わる貴重な経験でした。
5. 30周年史制作自体が、感謝を伝える過程だった
一冊を貫く軸を支える重要な柱となったのが、藤田社長と関係者の皆様との対談でした。
メディアドゥの節目に関わってくださった9名と藤田社長の対談は、単なる取材や証言集めではありませんでした。それは過去を振り返り言語化する場であり、藤田社長がこれまでの感謝を伝える時間にもなりました。
対談の進行役などを務めた私にとって、どの対談も大変勉強になるものでしたが、特に印象に残っているものの一つが、元徳島新聞社相談役の米田豊彦氏との対談です。
「僕が亡くなった父親の話をして感極まったとき、米田さんが抱きしめてくれた。自分の子どもならまだしも、普通、こんな大人を抱きしめてくれないよ。そのとき僕は『ああ、この人だ』と思ったんだ」
そう語る藤田社長は、米田氏を「徳島の父」と仰ぎ、徳島に行くときには真っ先に会い、事業の進捗を報告しているそうです。ただ、それはビジネスのための報告というよりも、「今、自分はこんなことを頑張っている」と伝え、ほめてもらいたいという気持ちに近いのだと話していました。
その関係性は、対談後の写真撮影にも表れていました。カメラマンがお願いする前から、二人は自然に肩を組み、満面の笑顔を見せてくださいました。その姿を前にして、私は、自分に「父」と呼べるような存在がいるだろうか、そして実の父に対して、これほど素直に向き合えているだろうかと考えさせられました。

6. 「愛」という言葉の意味
もう一つ、強く印象に残っているのが、メディアドゥのロゴやKV制作を手がけたクリエイティブディレクターの鵜野澤啓祐氏との対談です。 対談の中で、鵜野澤氏から「愛」というキーワードが出てきました。
一冊を貫く「空間」「時間」「人」「故郷」「愛」という五つの要素の中核にあるのが「愛」です。
この対談の話題は、当社のオフィスをはじめとする藤田社長の空間設計から始まりました。鵜野澤氏は、当初から「愛」を意識してデザインを進めていたわけではなかったといいます。しかし、藤田社長の故郷である木頭を訪れ、一人、満天の星空の下を歩くうちに、目の前の風景だけではなく、そこに流れてきた過去や、まだ見えない未来へと思いが及ぶようになった。そして、人、故郷、時間、空間をつなぎ、その関係を支えているものを「愛」と呼んでもよいのではないかと考えるようになった、と明かしました。
徳島ガンバロウズのマスコットキャラクターであるチェックとバロウのデザインについても、かっこよくしすぎない、洗練されすぎないことを意識したといいます。多くのブースターに親しまれ、愛される存在にするためです。
その話を聞きながら、藤田社長がしきりに腑に落ちている様子だったことを覚えています。
正直に言えば、その時点で私は、「愛」という言葉の意味を十分には理解できていませんでした。単なる「愛情」という意味ではないことは、感覚的には分かる。しかし、それがなぜメディアドゥの30年にわたる経営の核にまでつながるのか、まだ自分の中では整理できていませんでした。
この対談は、その後、木頭の風景をあしらったメディアドゥのKV制作へとつながりました。木頭の風景を前面に出したことで、 「空間」 「時間」 「人」 「故郷」 「愛」という五つの要素は、一つのイメージとしても結びつきました。このKVは現在、リニューアルされた当社ホームページにも展開されています。
今回、木頭を前面に出したことは、単に藤田社長の故郷だからではありません。家族や故郷への思いは、多くの人が持ち得るものです。そして自分にとって最も身近な存在や場所を大切にする姿勢は、人や社会からの信頼にもつながります。木頭の風景を見る人それぞれが、自分にとっての家族や故郷、大切にすべき場所を思い起こす。そのための入口としての意味が、木頭の風景にあるのだと私は捉えています。
こうした認識は、最初からあったものではありません。インタビューを重ね、対談に立ち会い、数か月にわたる原稿修正の過程で藤田社長と話す中で、次第に形になっていきました。
言葉にしてしまえば、それは人として当たり前のことなのだと思います。ただ、その当たり前を会社の言葉として掲げ、日々の判断や行動に落とし込むことは、決して簡単ではありません。社員一人ひとりが少しずつ実践していけば、その積み重ねが会社への信頼となり、会社の強さにもつながっていく。制作を通じて、私は「愛」をそのように理解するようになりました。
ぜひ30周年史を通じて、メディアドゥが大切にする「愛」を感じていただきたいと思います。
7.読者の反応
読者アンケートからは、制作時に意識していたことが、一定程度読者の皆様にも届いたのではないかという手ごたえを得ることができました。
全体の満足度は、「非常に満足」「満足」をあわせて回答者の91.3%、メディアドゥへの理解変化については、「非常に深まった」「深まった」をあわせて95.6%となりました。特に印象に残ったパートを複数回答で聞いたところ、30年の歴史を紹介した第2部「メディアドゥの時間」が75%で最も多く、次いで木頭にまつわる話題やエピソードの第4部「メディアドゥの故郷」が38%でした。
お寄せいただいた感想の一部を、表記を整えたうえでご紹介します。
まず、社外からは、メディアドゥの歴史について、次のような声が寄せられました。
「歩んできた歴史を、その時々の関係された人との関わりを軸に明快に説明されており、全体的に感謝と愛が凝縮されている作り込みになっている」
(金融関係者)
「1つの事業に固執せずに次々とチャレンジして今の結果を得たのだと感銘を受けた」
(出版関係者)
「変化を前向きに捉え、事業領域を広げ続ける企業だからこそ、今後も成長を続けていく可能性が高いと感じ、より興味を持った」
(メディア関係者)
「不屈の精神で挑戦を続け、人脈を築きながら、出版業界に新たな可能性を切り開いてきたことに改めて感謝したい」
(出版関係者)
また、木頭や故郷、愛というテーマについても、多くの反応がありました。
「ビジネスにおける強い愛情と熱量を感じ、身が引き締まる思いだった」
(出版関係者)
「藤田社長の背景から、ふるさとを思う気持ち、空間をデザインする大切さなどあらゆる魅力を、美しい冊子に閉じ込めていることに感動した」
(行政・教育機関)
「藤田社長の原点と溢れるパワーの源を改めて知る機会となった」
(Bリーグ関係者)
「人は、親しさを重ねるほどに、時として相手への接し方が無意識のうちに雑になってしまう。私自身も、決して例外ではない。だからこそ、一人ひとりに丁寧に時間をかけ、感謝を伝える藤田社長の姿勢に深く学ばされた」
(出版関係者)
社外の読者からは、出版業界の皆様との信頼関係、故郷への思い、地域や社会への取り組み、新規事業への挑戦、今後の成長への期待が寄せられました。過去を振り返る冊子であると同時に、メディアドゥの価値観とこれからの方向性を伝えるものとしても受け止められていたのだと感じます。
一方、メディアドゥやグループ会社の社員からは、30年の道のりを知ることができたという声が多く寄せられました。
「電子書籍流通事業に至るまでの道筋について、まるで追体験したような読み応えだった」
「会社のこれまでをつくりあげてきた人たちのリアルな息遣いを知ることができた」
「創業初期の話など、自身の知らない話が興味深かった。会社が大きくなる前の、がむしゃらな時代のエネルギーを感じた」
「30周年の記念すべき節目に社員として立ち会えていることに、改めて感謝したい」
中途入社の社員や、現在の事業基盤ができてから入社した社員にとっては、メディアドゥが時代に合わせて業態を変え、挑戦を続けてきた歩みを知る入口にもなったのだと思います。
社内外を問わず、読者アンケートで多く触れられていたのは、人との関係、そして「愛」という言葉でした。時代の変化とともに業態を変えても、人を大切にする姿勢は変わらない。30周年史で伝えようとしたことが、それぞれの立場から受け止められていたことを、アンケートの言葉から感じました。
8. おわりに
5月19日に開催した30周年感謝の会は、30周年史で書いてきたことが紙面を離れ、目の前に現れる時間でもありました。
当社の草創期を支えた方々が、藤田社長と記念撮影をする姿も見られました。今は会社を離れていても、かつて大きなエネルギーを注いだ会社が30周年を迎え、その節目を一緒に喜んでくださる方々がいる。その光景は、メディアドゥの30年を象徴しているように思います。
藤田社長はよく「30+30」という表現をします。30周年は、これまでの30年を振り返る節目であると同時に、次の30年が始まる起点でもあります。この30周年史が、社外のより多くの方にメディアドゥを知っていただくきっかけとなり、社内においても次の一歩を考えるための手がかりとなれば幸いです。
最後に、本史の制作を統括していただいた株式会社太田出版 編集部長 村上清様、カバーデザインをはじめ本史全体のデザインを統括していただいたクリエイティブディレクター 鵜野澤啓祐様、インタビュー、執筆、エディトリアルデザイン、撮影をご担当いただいた皆様、そして対談、取材、素材提供など本史にご協力いただいたすべての皆様に、厚く御礼申し上げます。
左:学生時代に起業した藤田社長と仲間たち(1995年)
右:メディアドゥ草創期のメンバーらと藤田社長(2026年5月・30周年感謝の会)